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社畜めうと「ひぐらしの鳴く頃に」の共通点と必然性。 または「美少女を壊す」ということ

「芽兎めう」というキャラクターが今注目を浴びている。

 

『ひなビタ♪』という音楽系の企画において登場するバンド「日向美ビタースイーツ♪」のメンバーという位置づけのキャラクターだ。

このキャラクターに本来存在しなかった、「社畜としてのめう」「現代につかれためう」という形での消費のされかたに関して言及が相次いでいる。通称「社畜めう騒動」 と呼ばれている。

 

leather770.hatenablog.com

 

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特に社畜めうが誕生するまでの経緯は以下が詳しい。

de0.hatenablog.com

 

社畜めう」という二次創作的なキャラ設定に反発を覚える人もいるようだ。

私はこのキャラクターに思い入れが無いこともあってか、これを楽しんでいる人たちに共感してしまう。

これにはいくつか理由があるが、少し過去を振り返りたい。

 

ブームとなった「ひぐらしのなく頃に

私は、アドベンチャーゲームが大好きだということは過去の記事で触れた。

mahiru123.hatenablog.com

現代アドベンチャーゲームを語る上で外せない作品の一つに、ひぐらしのなく頃にがあると思う。

未だにこの作品は名作だと思っている(オチは最悪だが、罪滅し編までは非常に面白い)。

この作品は、「日常から非日常への転落」がテーマの一つになっている。

日常において、主人公の前原圭一と、友人である竜宮レナ園崎魅音と詩音、北条沙都子古手梨花は学校生活を満喫している。

時折シリアスな雰囲気を見せるものの、ほとんどはギャルゲーも真っ青のドタバタ(ラブ)コメディであり、同人なのも手伝ってか、やりとりにはある種の寒々しさもある。

しかし、この雰囲気はあるときを境に一変する。

富竹ジロウが死亡するとともに、物語は加速度的に真剣味を増し、ついには上記のヒロインたちにも死をもらたす。

 

ひぐらしの1作目である「鬼隠し編」は、おおよそ8~10時間くらいのボリュームだが、その半分近くはドタバタコメディが占めている。

人によって印象は異なるだろうが、私にとっては日常編の大半は苦痛であり、場合によっては流し読みしながら非日常編に話が移るのを待っていた。

このゲームはなぜこんな構成なのか。そしてなぜこの作品は大ヒットしたのか。

勿論、「悲劇を強調するため」、「物語をより効果的に演出するため」であり、そしてこの作品がミステリーを謳っていた以上、「謎を生み出すため」に悲劇が起こることは当然ではあった。文章も人を引きつける力を持っていたのは間違いない。

だが、それだけでヒットしたとは思わない。

ここには、平和な日常を送る「美少女」たちの、絶対的に見えた平和が壊れることへの欲望がある、はずだ。

 

萌えアニメと幸福と虐待

2chを中心に、ときおり萌えアニメのキャラクターが虐待される絵が話題になることがある。私はその系統の絵には面白みを感じないが、これを求める人がいるのはわかる気がする。

萌えアニメのキャラクターは、基本的に全員幸せだ。

この系統の作品には性格の悪い人物はほぼ登場しないし、多少のトラブルがあったとしても、それほど深刻な事態にはならない。

私は、この「萌えアニメ的幸福世界」が正直苦手だ。

これに癒やされる人が多数いることは知っているが、私はこれを見ていると、癒やされるどころかどこかイライラしてくることがある。

「無条件に幸せ」な人たちに、自分が得られることの無い幸福を見せつけられているようでイラつくのか。

あるいは、努力して幸せをつかむという公式にマッチしない、「努力しなくても幸せ」という光景に納得できずイラつくのか。

自分でも理由ははっきりしない。

しかし、自分と同じように思っている人は多いのではないか。

萌えアニメ」は、アニメの中でも批判されることが多いが、それは決して萌えアニメが内容が無く、低質だという理由だけではないはずだ。

 

そして、この不満は、「萌えアニメのキャラクターもやはり辛い思いをしている」というフィクションによって、緩和することができるのだ。

社畜めうに見る聖域を破壊する魅力

話を芽兎めうに戻す。

芽兎めうは、現代のお気楽萌え文化の上に存在するキャラクターの典型だろう。

会話においてネットスラングを多用し、語尾に「めう」をつける電波娘。

現実にいたらあまり幸せにはなれなさそうな、強烈なキャラクターを持つ彼女は、しかしこの『ひなビタ♪』の世界では当然、幸せに暮らしている。

社畜めう」とは似ても似つかない。

むしろ、それが今回のキャラクター設定の要因になっているのだろうと思う。

 らき☆すたが流行したときにも、「主人公のこなたはリアルならいじめられている」という感想があったし、「泉こなた」や「柊かがみ」が大学で孤立しているという設定のストーリーが一部で流行した。

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪いという漫画が人気になったことがある。本当にモテない(どころか友達もいない)オタク女子が主人公だが、これは「リアルこなた」を表現した点も人気が出た理由の一つだろう。

 

そう、「脳天気で幸福な世界に住む美少女」が「不幸になったり苦労したりする」ストーリーには、一定の需要が確実にあるのだ。

 

そもそも昔から、アニメに限らない話であるが主人公は苦労して幸せをつかむのが普通だった。

あるいは、サザエさんちびまる子ちゃんの世界のように、決して不幸ではないが、底抜けに脳天気な幸せを表現しているわけでない、「現実」を反映した世界があった。 

 決して、「脳天気な世界観」に満足しない人々はおかしくともなんともないだろう。

この欲求が、あくまで二次創作の範囲内でキャラクターに対して「聖域を壊す」形で現れても、それはごく普通の欲求なのだろうと思う。

 

付記すると、「社畜な萌えキャラ」というコンセプトはあまり多く見られないので、新鮮であったことも流行った理由にはあるだろう。ブラック企業批判が喧しい現代のネット状況を反映しているという点が興味深い。

 

以上。