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読書記録など。

「心理学とは何なのか」「新聞・テレビはなぜ平気でウソをつくのか」 書評

「心理学とは何なのか」「新聞・テレビはなぜ平気でウソをつくのか」読了後の感想。

「心理学とは何なのか」は、心理学の入門書を期待したが、それほど読みやすくはなかった本。個人的には心理学全体の見取り図を期待して読んだのだが、結局全体像は殆ど見えず。様々な心理学実験の例を示して解説を行なっているのだが、実験の内容が複雑で文章量が多く読むのがしんどいのはしょうがないとして、解説の部分もややわかりづらい部分が多く、疲れる。心理学そのものは難しい学問でないはずだが、要らない部分で難しくしているように感じられた。

「新聞・テレビはなぜ平気でウソをつくのか」は、相変わらずの上杉隆の本。いつもどおりの記者クラブ批判、マスコミ批判。そこそこ面白く読めるのだが、さすがに同じような内容が多く、この著者の本を読む必要性について改めて考えたくなる。まあさらっと読めるからそれほど悩むほどでもないが。とは言え、買ってまで読むかは怪しい。それでも、アマゾンレビューでの叩かれ方はやや過剰にも思える。まとめwikiも出来て、アンチも定着してしまっただろうからもうどうしようもないのだろうが。実際、著者にも問題が多いのは事実だと思うが、そのような人でなければここまで既存マスコミに喧嘩を売ることができないとも言えるのでは。

「超常現象をなぜ信じるのか」「三国志 演義から正史、そして史実へ」 書評

「超常現象をなぜ信じるのか」「三国志 演義から正史、そして史実へ」読了後の感想。

菊池聡「超常現象をなぜ信じるのか」は、人間がオカルトを信じる心理学的仕組みについて解説した本。科学的解説や、心理トリック的な面白い例も紹介されていて、読んでいて楽しめる。オカルトを信じる背景には、ものごとの間に全て何らかの関係を見つけずにはいられない人間の性質と、誤った推論を起こしやすい人間の性質が潜んでいるということだ。

渡邉義浩「三国志 演義から正史、そして史実へ」は、三国志演義正史三国志などから史実を追った作品。一粒で3度おいしい作品かもしれない。

ただ、私は三国志の知識に乏しいため、やや飛ばし気味に読んだことは否めない。三国志で語られる物語、人物は膨大なため、ファンでない私では50%も楽しめていないだろう。それでも、演義がいかに史実を曲げてまで蜀贔屓と魏と呉の貶めを行なっているかがよくわかっただけでもよかった。この本を読むと、魏と呉の人物が哀れに見えて、蜀の印象が悪くなってくるのは私だけではないだろう。

 

「ゼロからわかる経済学の思考法」「日本経済の奇妙な常識」 書評

「ゼロからわかる経済学の思考法」「日本経済の奇妙な常識」読了後の感想。

小島 寛之「ゼロからわかる経済学の思考法」は、主にミクロ経済学の面白い理論の紹介などをした本。ゲーム理論などが紹介されていた。入門書的な本なのであまり言うことはない。経済学の限界について語った項があり、経済学者の悩みのような部分がわかる。やはり当事者も悩んでいるのだろう。

吉本 佳生「日本経済の奇妙な常識」は、日本経済についてよく言われる意見に、データを駆使して反論しながら自説を語る本。著者は反リフレのようだ。1ドル80円台である日本が円高だという通説に対しても反論する。まずは、データをしっかり駆使して説明しているため、基本的には信用できるものと判断した。しかし、相変わらず経済学の議論は何が正しいか判断するのが難しい。購買力平価から見ると円高ではない、だから円安政策は現状で円安なのだから通貨戦争を仕掛けることと同じ、との主張が妥当なのかどうか全然わからない。とにかく、金融緩和批判(=インフレ・ターゲット批判)論者はこのように論を立てるという一つの例として勉強になる。説明の仕方は真摯であるので、鵜呑みにしないながらも、著者のことは注目することにしたい。

「佐和教授 はじめての経済講義」 「経済学の犯罪」書評

佐和 隆光「佐和教授 はじめての経済講義」読了。

経済学の入門的内容について書かれた経済入門書。

経済知識の基礎を固めるために読んだ。まあ普通の内容。知っていることが多かったので飛ばしぎみに読んだため、印象があまりない。わかりやすい本ではあったと思う。アマゾンレビューが一つもない。まあ入門書だしそんなものか。

佐伯 啓思「経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ」読了。

現在の経済学の恣意性を批判した上で、新しい経済思想を主張する本。

佐伯氏は売れっ子著者だと把握している。売れている著者は全般的に、情報よりも主張の色が濃い著作が多いが、この本も同様。ただ、その中ではわりと情報量は多い方か。著者は新古典派経済学を批判し、現在の自由主義経済、市場万能主義経済思想を正当化する経済学理論をまるで真実かのように扱う風潮を批判する。新古典派経済学への批判はおおむねその通りだと思うが、現在の経済学が新古典派経済学肯定論ばかりといいたげな主張はどうだろう。行動経済学もそうだが、批判勢力も多く、(新)古典派はあくまでそのような学説があるというスタンスで教えるのが普通だと思うのだが。とは言え、経済学を勉強する際、まずは古典的なミクロ経済学を勉強することになるのは確かだ。しかし、マクロ経済学ケインズ理論を学ぶのが普通で、新古典ばかりというわけでもないと思うが。まあわかりやすくするために色々と捨象されているのだろう。知識が全くないとかなり誤解しそうではある。

著者の主張のところは、あまり覚えていないが、それほどおかしいことは言っていなかったかな。

 

経済論戦の読み方 書評

経済論戦の読み方  (講談社現代新書) 田中 秀臣 (著)、読了後の感想。

著者は、リフレ派の立場から、様々な2005年頃の経済論戦を批評する。

私もリフレの主張は割りと正しいと考えているので違和感なく読めたが、反リフレの主張を持つ人が読むとどう感じるだろうか。経済学の知識を無視した議論を行う人が、リフレの反対者に多いという。リフレ以外の主張は経済学的に誤っていることが多いということか。もちろん、著者はちゃんと反対派の主張を記した上で反論しているため、概ね平等である。構造改革派の議論は疑わしいという部分は説得力を感じた。経済学的な議論に疎いため、基礎体力をつけようと思って読んだ本なので、十分ためになったが、この本が正しいと判断できるほどの自信はない。果たして、そのような判断ができる日が来るのかどうかはわからない。

『ニューヨークタイムズ』神話―アメリカをミスリードした“記録の新聞”の50年 書評

ニューヨークタイムズ』神話―アメリカをミスリードした“記録の新聞”の50年、ハワード・フリール、リチャード・フォーク著、読了後の感想。

これは、かなりラディカルなニューヨーク・タイムズ批判の書である。日本の新聞(特に朝日新聞)への批判の書はよく見かけるが、アメリカの新聞を批判する書籍は初めて読んだ。やはりこのようなことは日本人には難しいか。しかし、日本でもよく引用され、世界的な影響力のある大新聞、ニューヨーク・タイムズについて知ることは確実に必要なことであろう。一般的にタイムズはリベラル系の新聞ということになっているが、著者たちは多くの記事引用を駆使して、実は保守派にかなり気を使って紙面を作っていることを示す。そして、半世紀にわたった調査を行なっているのだが、特にイラク戦争などについて、はじめは賛成をほのめかす言動を繰り返しながらも、開戦直前になって反対であると主張をして体裁を整えたといった時系列的な分析など、非常に興味深い。著者たちの批判の根源にあるのが、リベラルに見せかけた論説のなかに、国際法の観点が抜け落ちているタイムズの姿勢である。戦争行為を行うにあたって、当然ながら順守すべき国際法について、アメリカが国際法違反の行動をとっているのではないかという議論を、タイムズは殆ど問題にすることはなかった。それは、国際法を持ち出せば、戦争を肯定することが困難になることが理由ではないかと思われる。タイムズも結局は商業紙であり、保守派も安心して読める内容でなければいけないのだ。よって、はっきりと決着がつくような論点は持ち出し辛いのかもしれない。また、バランス報道のような体裁を取りながら、実際は国際的問題について、アメリカに都合のよい部分を強調し、不利な部分は小さく扱ったり曲解したり見なかったりしている例を示し、批判している。

結局、「公平中立」「バランス報道」なんて幻想に過ぎない上に、どちらかの立場に立って主張することから逃げ、どちらとも取れる言動に終始してしまうことを正当化してしまうということがよくわかる。

著者らの批判の全てが妥当なのかはわからないが、タイムズをよく知らずになんとなく神聖視している私達日本人こそ、この本を読むべきであろう。

 

 

テレビの日本語 加藤昌男著 書評

テレビの日本語 、加藤 昌男著、読了後の感想。NHKアナウンサー出身の加藤昌男氏が、テレビに出てくる日本語の変遷を語る。NHK出身らしく、日本語の乱れを憂いたり、どんどん字幕テロップが画面中に埋め尽くされ、!や?を多様するようになり、「饒舌」になっていくテレビについて、批判的に取り上げている。 テレビが饒舌になっていく過程をある程度検証しているため、確かに変化していることは認められる。理由としては、技術革新と、熾烈な視聴率競争によりどんどん視聴率が取れるように画面が派手になっていったといったところだろうか。このあたりはなかなか面白かった。

しかし、もはや慣用表現として定着してしまった感のある「痴漢は立派な犯罪です」のような表現に対して「犯罪に対して立派とつけるのはおかしい」と言ってみたり、台風中継にて「危険ですから外に出ないで下さい」と言いながら外に出ているキャスターに突っ込んだり、間違ってはいないがやや杓子定規感のある批判も多かったように思う。まあ書名からして、おかしな日本語に突っ込むようなことが必要だったのだろうが。また、アマゾンレビューでも反論があったが、アナウンサーのアクセントが平板になっていていけない、という点に関しては全くピンとこなかった。文章じゃ伝わりづらい部分かもしれないが、根本的に、アナウンサーのアクセントが平板で困った記憶がないので、あまり説得力が感じられなかった。